Graphic Designer

mariko
kashiwa

グラフィック事業部

柏 真理子

夫・子供3人の5人家族
パン屋に行くのも作るのも大好き!
コーヒー・カフェ・お菓子作り・マイペース
好奇心旺盛・気になったら即行動がモットー!

目次

Profile

長野県松本市出身。東京都在住。
父親の転勤で高校からアメリカに移住し、現地の高校・大学に通い卒業。日系旅行会社に就職し個人・法人の予約を担当する。カスタマーサービスのノウハウを叩き込まれ、がむしゃらに働いた結果売上トップをとるまでに登り詰める。

東日本大震災の直前に帰国し、しばらくしてスポーツアパレルの会社に転職。アパレルの商品開発や生産管理・輸出入管理を担当。アパレルやスポーツシューズの知識はなかったが英語を駆使して海外工場へ出張に行くなど精力的に仕事に邁進する。

その後、ゲーム機器の会社で貿易管理を担当したり、IT系人材派遣の会社でエンジニアと営業を経験。
「英語を使って仕事をしたい!」という思いからさまざまな職種を経験する。

結婚し、新型コロナウィルスによる非常事態宣言が始まった頃に第一子を妊娠・出産。それを機に専門的な知識技術を習得し家でできる仕事をしたいと考え、キャリアチェンジを図るためグラフィックデザインの勉強を開始し、今に至る。

Vision

なぜさまざまな職種なのか?

父親は仕事柄海外出張が多く、子どもの頃はそれについていきたいと憧れを抱いていました。海外のお土産や父からの経験談を聞いてますます憧れ、英語にも興味を持つようになり、英語教室にも通うようになりました。

高校を卒業したら留学をしようと考えていた矢先に父親のアメリカ転勤が決まり、家族で移住をすることに同意しました。
せっかく苦労して英語を習得し大学まで卒業したので、それを活かして仕事をしたいと当時は考えていました。
結果、職種はバラバラになりましたが、日本語と英語を使って仕事をするという軸を持って携わってきました。

(余談ですが、ちょうど父親の転勤が決まった頃にアメリカの同時多発テロが起こり、ニュースを見ながら「あんな国に行くのか・・・」とちょっと恐怖を覚えた記憶があります)

待ってちゃいけない!素直に自分を発信する!

日本とアメリカの違いで一番大きな衝撃を受けたのは、何事も自分の力で切り開くことが大事ということです。日本は親切なので待っていると誰かが何かをしてくれる風潮がありますが、アメリカは「助けてほしい!」「力を貸してほしい!」と訴えないと誰も助けてくれません。

当時の私は日本人気質が抜けず人見知りもあって、受け身の姿勢から抜け出せずにいました。しばらくしてアメリカ生活に慣れてきた頃から能動的になり、コミュニケーション能力が上がったと思います。

この経験は後の仕事にも生かされています。特にスポーツアパレルの会社では、英語は話せてもアパレルの専門知識がなかったので商品開発の部門にいても話がピンとこない部分が多々あり、いじわるな先輩にいじめられることもありました。

そこで私は、プライドを捨てて分からないなりに先輩や周りの人に聞いたり、パタンナーやデザイナーに頻繁に質問をしにいきました。すると、周りとの距離が縮まり、時間がある時に色々教えてくれたり多少の無理難題も快く引き受けてくれるようになりました。

変に見栄を張るのはやめて、分からないから教えてくださいと素直に自分から発信する、を今でも大切にしながら仕事をしています。

女優になれ!

「女優になれ!」
この言葉は初めて就職した旅行会社で当時の支店長をしていた方に言われた言葉です。旅行会社の予約担当は電話業務が大半を占めるため、顔の見えないお客さんと声だけを頼りに仕事をします。初めてなのにいきなりタメ口で対応をされたら嫌な気持ちになりますよね。素の自分を発信をすることも大事ですが、時には可愛く演じることも大切だと教わりました。

好感を持てる声や笑顔、気持ちのいい会話、そして会話の中からお客様やビジネスパートナーが何を求めているのか瞬時に察知し1人1人に対して臨機応変に対応する力、は旅行会社で培われ現在携わっているグラフィックデザインの仕事にも生かされています。

Private

なぜデザインの道へ?

コロナ禍が始まる直前に妊娠し、当時勤めていた会社でリモートワークが始まりました。つわりがキツかったこともあり、家で仕事ができるってすばらしいな〜!と当時は考えていました。(パソコン仕事が好きなので家で一人で仕事をすることはまったく苦ではなかったです)

その後出産し子供が保育園に入園してしばらくしたあと、保育園で年度末に発行している冊子(卒業文集みたいなもの)のクラスページを担当する係に立候補しました。
当時Photoshopは少ししか使えず、Illustratorはまったくの初心者だったのでまずソフトの使い方から教えてもらったり、独学でやり方を調べていくうちにもっときちんと学びたい、家でグラフィックデザインの仕事ができるようになりたい、と思うようになりこの道へ進むことに決めました。
また、専門職の友達が多くブランクがあっても復職している姿を見てきたので、私も手に職をつけて息の長い仕事をしていきたいと考えるようになりました。

たまたまた保育園のママ友がコペンの運営メンバーだったこともあり、色々話を聞いていくうちにコペンとの関わりが大きくなってきたと思います。

自分中心から子供中心の考えへ

結婚するまでは、自分で働いて稼いだお金だから自分の好きなように使う!という考えで生きてきましたが、結婚出産を経験し、いつの間にか「自分」の優先度が一番下に落ちたと思います。生活の中で一番大事にしていたネイルサロンに行く時間もいつの間にかなくなってしまいました…
でもそれ以上に子供達の喜んでいる姿や笑顔がみたいと思うようになり、ネイルサロンに行かなくても平気になりました。

スーパーに行っては、「これ好きかな〜?」「これ作ったら喜んで食べてくれるかな〜?」と考えたり、お休みの日は「ここに連れて行ったら遊べるかな〜?」と考えたり、頭の中は常に子供たちのことでいっぱいです。

いま働くモチベーションになっているのは、家族の存在、特に子供たちの存在が大きいです。
子供たちに胸を張ってグラフィックデザインの仕事をしているだと言えるようになることが目標です。

Works

私ってどんな人間?

自ら率先していくより、リーダーについていくタイプ
正直なところ教員や人材育成をする側の人間ではないと思っています…でも指示された仕事はきっちり確実にこなします!

誰かに喜んでもらうことをするのが大好き
子供たちの要求を叶えることは楽しいし、お仕事仲間やお取引先に喜んでもらうことが一番のモチベーションです

計画性はあるけど、マイペース
必要なときはしっかりやるけど、無理はせず自分のペースで物事を進められます

お客様をはじめ、関わるすべての方々にご満足いただけるよう、ひとつひとつの仕事に真摯に向き合い、丁寧に取り組むことで、信頼に基づいた長いお付き合いを築いていきたいと考えております。」

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